ヴェルネが求めたのは油絵具本来の美しさ

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油絵具について

そもそも油絵具とは

水彩・ポスターカラー・アクリル・油絵具といった全ての絵具には、共通の顔料を使っています。
しかし顔料そのままでは画面に定着しませんので、何らかの接着剤(メディウム)を使う必要があり、
その種類により絵具の種類が分けられます。
植物油には乾く性質をもつものと乾かない性質のものがあり、酸素と化学反応して固まる性質をもつ油を「乾性油」と言います。
油絵具にはこの「乾性油」が接着剤として使われます。
この反応を酸化重合といいます。例えば洗濯物・髪を乾かすといった、水分を蒸発させる「乾かす」とは全く別の意味です。
※方法は違いますが、漆も空気中の酸素との反応により固化していきます。

顔料とは

溶剤に溶けない色の粉・有色の粉末のことで、古来より土や鉱石を細かく砕いたものが使われてきました。漢字のとおり、古代の人々が顔に色で装飾を施したのが由来とされています。コバルト・クロム・カドミウムといった単語がついた色をよく見ると思いますが、これは金属の名前で、こうした金属をベースとする顔料の事を「無機顔料」と言います。19世紀の最後の頃には化学産業の発達がめざましく、それまでは出来なかった粉末の不溶性染料の合成が可能になり、「有機顔料」という名で次々に新しい色が誕生しました。公害問題のこともあり、クロムやカドミウムなどの無機顔料の製造は難しくなっていったため、その代替色としても使われるようになり、鮮やかな色が増えていきました。
絵具の中には色名が読みにくい、難しい名前のものがありますね。メーカーによって色名は様々ですが、例えば「イソインドリノンイエロー」「アントラキノンレッド」「ジオキサジンバイオレット」「フタロシアニンブルー」とか、これらは有機顔料の名前です。有機顔料は石炭や石油など炭化水素を多く含む原料から合成されたものです。

産業革命以後の有機顔料

有機顔料が特に発達したのは産業革命が起きた後のことです。 車や工場に使われる鉄の機械や構造物が大量に生み出されていく過程で、空気や水に触れて錆で劣化しないように色を塗ります。塗装は、装飾だけでなく立派な工業技術として見直され、需要が増え採算が合うようになりました。
油絵具もその中でますます利便性が追求され、やがてチューブ入りになり、作家が必要な色を買えるようになっていったのです。

体質顔料とは

メディウムとの屈折率が近い為に練り合わせると無色透明になる白色顔料のことです。例えば炭酸カルシウム・タルク・カオリンなどのことを言います。絵具は顔料とメディウムだけでいいのでは?と思われますが、透明感を高める・着色力の強すぎる顔料を薄めて色調を整えるなど、バランスのよい絵具を作るには体質顔料はかかせません。

ヴェルネの特徴

通常の油絵具と違い、ヴェルネは「本物志向」をテーマとして開発されました。
絵具でいうところの本物とはどういう意味合いでしょうか。

500年の油絵具の歴史を
最新テクノロジーで表現

油絵具の歴史は非常に深いのですが、はっきりといつどこで生まれたのかは定かではありません。15世紀前半から中頃にかけてヤン・ファン・エイクの製作した油絵が、この時代以前にあったとされる油絵具の用例と比べてもとても洗練された、高い完成度を誇り、油絵具の物性と作品の美しさが完璧に近い形で結び付けた成功者とされています。油絵の表現においての始まりであったのではないでしょうか。

色を練り上げる

宗教画や印象派の絵画で使われていた最初の頃の油絵具は、色の粉(顔料)に油を混ぜ、手で練りあげただけの純粋なものだったので、ダラーっと流れるくらいに流動的で、透明性が高いものでした。西洋絵画の荘厳で深い色合いは、油絵具の透明感と彩度の高さがあってこそだと考えられます。油絵の色の深さは、絵具単体の色味だけでなく、むしろ何度も色を重ねていくなかで表現されるものだというのが、油絵の原点といえます。
やがて1800年代前半、絵具のチューブが開発されました。しかし流動性が高いとチューブにうまく充填ができず、ある程度硬さを足す必要がありました。そこで樹脂やワックス、体質顔料などを混ぜ、現在の油絵具としての形になっていったのです。

現代の一般的な油絵具は、色をゴテっと塗る・筆のタッチを残す・絵具のボリューム感がある絵画といったような認識が強く、透明性が高いという印象はあまり無いのかもしれません。昔の油絵具の状態では、それらの表現をするのは不可能でした。
その後、絵具の盛り上げやタッチなどを意図的な表現方法として確立したのは、17世紀中頃のレンブラントとされていますが、その技法について詳しい事は分かっていません。

使用している顔料が本物

昔、使われていた本物の顔料を使うと共に、昔には無かった最新の顔料を用いて、油絵具本来の美しさを引き出すのがヴェルネの目的です。 アンバー・オーカーといった土系顔料は、いずれも本物のイタリア産の土を使用しているのはもちろんのこと、現在は輸入が困難になったアイボリー(象牙)もせっかくだから本物を使おうということで、なんとハンコ屋さんの製造過程で出てくる削りかす(印鑑は象牙を使用しているため )を集めて焼いたものを顔料としています。なので、ヴェルネのアイボリブラックは名前の通り本当の象牙のブラックです。このアイボリーを顔料として使うのに、焼成のテストを何度もしましたが、非常に強烈な匂いが発生するため、開発にはとても苦心されたそうです。

ちなみにヴェルネのラインアップには無い色ですが、ピーチブラックの顔料は本来は桃の実の種を焼成したものでした。また、バインブラックはぶどうの蔓や種を焼成したものが本来のものでした。これを再現するために膨大なぶどうを食べてもらい、蔓や種を集め、干して焼いたこともあったそうですが、ドッサリあった物が焼成すると、手のひらにのせれるくらいにしか残らなかったそうです。

ヴェルネは
顔料本来の性質を引き出す

絵具作りとは、集まった顔料の粒子をほぐすことにあります。これを分散工程と言います。細かいものは、どんどん寄り集まる性質があるからです。

この工程がなければ、顔料本来の表情を発揮できません。分散させるのにはロールミルという機械を使用しますが、ヴェルネで使用しているのは非常に高性能のものです。素材は炭化珪素で高い硬度を誇ります。熱伝導率が高いため、ロール自体に冷却水を通すとすぐに冷えて、機械を稼働する際に発生する熱を抑えやすいのです。ロールの熱膨張係数が少ない為、完全にフラットな状態を保てます。(形が変わってしまうと顔料の分散ができない)

世界でも絵具に使用されているのはわずかだそうで、ヴェルネが一般の絵具と違う所以は「高い機械力」です。
後ほど出てきますが、顔料をより分散させるために、通常の油絵具よりも何十倍も時間と労力をかけます。分散力を上げると、表面光沢が増加し、発色が良くなります。ヴェルネと他社の絵具で塗り比べた絵をレーザーマイクロスコープで測定したところ、分散の悪い塗膜は物理的にボコボコしているため、光が乱反射を起こします。対してヴェルネで描いた画面はフラットな為、各色の光沢値がとても高く、彩度が高く、鮮やかに見えるのです。

絵具のパンフレットを見ても、色によって透明度・不透明度が違います。それぞれの顔料本来の性能を引き出す為、各顔料メーカーが粒子の大きさを決めています。分散力を高めることによって、顔料メーカーの意図する粒子の大きさに近づき、透明な顔料はより透明になり、不透明な顔料はより不透明になっていきます。

テールベルトやイエローオーカーといった土物の顔料でさえ、分散を続けると美しい透明性を得ます。同じテールベルトでもレギュラー品は不透明ですが、ヴェルネでは透明なのです。先述にありますように、昔の油絵具は顔料と油のとてもシンプルな作りでした。ヴェルネでは油絵具本来の美しさと鮮やかさを表現するために、有色顔料を多く配合し、体質顔料率がレギュラー品と比べて非常に少なく作られています。

Cerulean Blueの顔料配合比率

油絵具は歴史が長く、何百年もの前の色あせない名画が未だに存在するように、絵具としての耐久性の強さには実績があります。 対してアクリル絵具は歴史が浅く、まだ比較できるに至りません。油絵具とアクリル絵具の大きな違いは「顔料濃度」です。アクリル絵具は、そもそもアクリルエマルションに多くの水分が含まれているため、油絵具と比べると濃度が高くありません。同じ黒色でも、目に入ってくる色の深さが全然違うように思います。油絵具は酸化重合によりゆっくり固まっていくため、表面が乾いた後に硬化が進んでいくといえます。アクリル樹脂はすでに反応が完結しているため、化学的に安定しているのはアクリルでしょう。塗膜の安定性はアクリル、耐光性・発色の強さは油絵具が上です。

油絵具ができるまで

油絵具はどういう工程を経て生産されているのでしょうか?
今回取材させていただいたのはホルベイン工業株式会社の奈良工場です。
奈良県葛城市にあるこちらの工場は、平成8年(1996年)に新設され、主に油絵具を主体として製造されています。

工場に入った時、まず製造が終わった際に絵具を洗う「洗い油」の香りが迎えてくれました。 

1攪拌・プレミキシング

有色・体質顔料などを混ぜ合わせるために、まずはこちらの機械(バタフライミキサー)で攪拌を行います。
6号サイズで、約360ダース(4320本!)もの本数が作れる量を一度に攪拌する事ができます。

機械が動き出してしばらくすると、攪拌された粉末が勢いで舞い上がるので、集塵装置のついた蓋をします。
小一時間ほどかき混ぜます。

機械で練られているこちらの絵具は「コバルトバイオレットヒュー」です。

以上の工程でプレミキシングを行い、できあがった絵具が下記になります。

  • こちらは「バーントシェンナ」

  • こちらは「イエローオーカー」です。

見た目は既に絵具の体をなしているように見えますが、まだブツブツが残っていたり、ムラがあります。
ここからメインの、ロールミルによる「分散作業」に入ります。

2ロールミルによる分散作業

3本のローラーで構成されているこちらの高性能ロールミルにかけて、顔料を分散していきます。これはヴェルネの「インダンスレンブルー」を作っている模様です。

既にロールにかけている顔料です。何度も分散させたためか、美しいツヤが発生しています。すごくキラキラしていて綺麗でした。

レギュラー品であれば、ロールミルに4回かける程度(1時間30分 × 4回)で済みますが、ヴェルネはなんと6回も機械に通します。この工程だけでも約7日間かかるとのことです。透明性と鮮やかさを高めるため、粒子を何度も何度も分散させるのです。

レギュラー品であれば、ロールミルに4回かける程度(1時間30分×4回)で済みますが、ヴェルネはなんと6回も機械に通します。この工程だけでも約7日間かかるとのことです。透明性と鮮やかさを高めるため、粒子を何度も何度も分散させるのです。

こちらのフィルムに塗られているのはサンプルです。
絵具の粘度を確かめるために、テストをします。上がレギュラー品・下がヴェルネの色です。これを見るとヴェルネが透明性の高い絵具か、よくわかります。

下の写真で、真ん中のロールの左右にあるものはなんでしょうか。

これは堰板と言って、絵具がロールの端からこぼれ落ちない様に堰とめる働きをしています。
ヴェルネ用のロールでは、堰板がロールの上には乗っておらず、稼働幅は常に100%です。しかし一般的なロールでは堰板がロールの上に乗っていて、ロールが劣化するにつれて、内側に入って、稼働幅は低下していきます。

こちらもロールミルにかけている黄色の絵具ですが、ヘラで触らせてもらうと、先ほどのブルーに比べてまだ緩い印象がありました。緩いと絵具がたまに飛び散るそうです。

こちらは「グレイオブグレイ」。
なんとも迫力のある絵面ですが、こちらは粘度が結構高めで完成に近い状態でした。ヘラで突き刺すと硬かったですが、横に滑らせると割とスムーズにスッと動きました。この状態が、筆運びの良さを表しているのではないかと感じました。

ロールミルにかけた絵具を、ペインティングナイフで少量取り、粘度を数値化する機械にかけ(コーンプレート型粘度計)粘度測定を行います。

また、こちらの機械で乾燥試験を行います。
「温度」と「湿度」を設定し、絵具の乾燥時間が基準を満たしているかどうかをチェックします。

こちらはDUOのチタニウムホワイト。大量の在庫!

3チューブへの充填・ラベル貼り

出来上がった絵具をチューブに充填していくための機械です。

  • こちらの大きな容器の中に絵具を入れセットします。

  • こちらはチューブへの充填口です。

この時は絵具は入ってなかったのですが、充填されるときは、こちらの動画のように機械が動きます。

チューブの最初の状態は円筒になっているため、機械で充填すると同時に、チューブの底を折り曲げて密閉します。

チューブの内側の片方には糊がついています。
ここが折り曲げられて接着されるのです。また、チューブを破いて中を見せていただきました。

アルミ製のチューブは腐食しやすいので、内側をエポキシでコーティングしてあるそうです。昔の素材は錫(すず)で鉛をサンドイッチにしたものでした。充填されたチューブは、ラベルを貼る機械にかけます。一本一本が高速で流れていき、丁寧にラベルが巻き付けられ、貼られていきます。

最後に絵具をパッケージに入れますが、これはスタッフの方の手作業で行います。

4使用した器材を洗浄する

今回の取材で最も大変な作業だと感じたのは、各機械のパーツを綺麗に洗うことでした。
限られた機械の台数で全167色もの絵具を製造するため、各パーツはキチンと洗浄しないと、色が混ざったりして大変なことになります。

油絵具は水で洗い落とすことができないので、粗洗浄には「灯油」を使用します。その後、特殊な洗浄液の入った超音波洗浄装置にかけて完全にきれいにします。パーツには絵具がびっしりくっついているため、綺麗にするのは本当に大変なことだと思いました。洗浄の担当の方はいらっしゃいますが、人手が足らないときは補助にまわります。

もちろん廃液などについては業者さんに回収してもらい、環境に影響のないように徹底されています。

  • 充填する際に余った絵具たち。ご家庭でもラップをして冷蔵庫に入れれば、酸化重合の反応を遅くでき、固まりにくくできるようです。

  • こちらにトレイに入っている絵具は全て、セット商品用に在庫しているものです。

あとがき

今回はホルベイン工業株式会社様にご協力を頂き、油絵具の製造の流れ、そして「ヴェルネ」の特集を組みました。ここに厚く御礼申し上げます。
画材図録の特集としてはこれで6回目となりますが、ようやく画材の王道の登場となりました。

私は以前ホルベイン本社のギャラリーで、今回現場で色々とお話頂いた、ホルベイン工業の小杉さんが描かれた絵画を拝見しました。描かれたモチーフの面白さ、油絵でありながら水彩のような繊細さ、そして鮮やかな発色が、一般の油絵具とは違ってとても印象的な作品でした。
その絵画はヴェルネを使用されていたとお聞きしてから、改めてヴェルネに注目したくなったのです。
油絵具を使う作家さんからも、ヴェルネは透明感があって鮮やかだという感想を聞きます。私の先入観で、油絵というと力強いタッチと色の強さが頭の中にどうしてもあったのですが、ヴェルネを調べるうちに、油絵本来の表情はもっと繊細だということを再認識しました。

何百年も昔から始まった油絵の歴史は今もなお続いており、展覧会やアートフェアでも油絵を見ない事はほとんどありません。 描かれた主題やモチーフが何なのか、使用している画材の特性と合っているか、より強固なイメージを追い求め、自身のオリジナル性を確立する為には、作家自身そして画材のルーツを見つめるのも大切なことではないかと考えます。

ご購入について