菊英についてAbout Kikuhide
後藤 英彦Goto Hidehiko
版画家・五所菊雄氏、浮世絵摺師・内川又四郎氏に師事、摺りとばれんを学ぶ。
- 1979年ばれん工房菊英 創業
- 2012年東京銀座にて「銀座・ばれん塾」を開講
ばれんの制作だけでなく、素材となる皮白竹の竹林整備にも取り組んでおられます。
また、ばれんの魅力を伝えるため各地でワークショップをはじめさまざまな取り組みをされています。
ばれんについてAbout Baren
ばれんは木版画の刷りに使われる道具です。絵や文字などを彫った版木に絵の具を塗り、紙を置いて、その上からばれんで圧力をかけ紙に転写する。一つの版があれば同じイメージを何枚も摺ることができるため、つまりこの工程は「印刷」であるともいえます。木版画やばれんの発祥はいつ頃からか明確ではありませんが、浮世絵のように「絵」としての版画が確立するよりももっと昔、元々は神社や仏閣などのお札やお経の本を出版するため、お坊さんが代々伝わる版木をもとに、せっせと印刷していたのが始まりとされています。 京都精華大学:黒崎 彰先生の調査資料「社寺の木版印刷における刷り具の研究」より引用
その頃に使われていたとされるばれんは、今の物のように工芸品と呼べるクオリティのものではなく、木板や角材を竹皮で包み込んだもので、見た目を例えるならば「ちまき」のようなイメージです。
形も楕円・四角・縄で縛ったたわし状のものなどさまざまです。ベトナムでは刷りの道具にヘチマを芯に使用しているものもあります。ばれんがどういう歴史をたどってきたのか、その経緯や製法などはすべて口伝で伝承されてきたため、はっきりとした記録が無いとされています。
ばれんを構成する部位
竹の皮というと、食品を包む包装材を想像するのではないかと思います。昔話や絵本に出てくる、竹の皮に包まれたおにぎりと行ったイメージです。竹の皮には天然の抗菌性と通気性があり、そのため食べ物の包装に用いられています。京都は竹の産地ということもあり、竹を使ったさまざまな加工品が販売されています。一般的に全国で使われている竹皮は「真竹(まだけ)」や「孟宗竹(もうそうちく)」と言われるものです。
どちらも表面に特徴があり、「真竹」は斑点模様があるのが特徴で「孟宗竹」は茶色で細かな産毛状の毛があるのが特徴です。しかし、菊英の本ばれんに使用される竹の皮は、そのどちらでもなく「皮白竹(かしろだけ)」という竹の皮が用いられています。
その名の通り竹皮が白く
他の竹皮と比べて
表面の斑点が少ない
他の竹皮よりも
筋目の凹凸が強い
皮白竹には、皮白竹にしかない美しさ、繊維の丈夫さと粘りがあります。その特性を生かし、茶道具の「羽箒」の柄、栃木県日光市の伝統工芸品「日光下駄」草履表、群馬県高崎市の竹皮工芸「西上州竹皮編」などの工芸品にも用いられています。今回、私も皮白竹を使ったばれんづくりに挑戦させていただいたのですが、筋目がしっかりした素材でしたので非常に割きやすかったです。
皮白竹は、ばれんの包み皮のように「面」としても使えるし、細く割いたもの1本1本「繊維」としても使える、その特徴が日本の竹工芸のバリエーションに豊富さに与えているのだと感じました。ちなみに皮白竹は、福岡県八女(やめ)市と、うきは市のごく一部にしか生育していない希少な竹材なのだそうです。
皮白竹の皮が採れる時期
ばれんができるまでMaking of Baren
本ばれんができるまで
皮白竹を繊維に沿って細く切り裂き、その1本1本を縒り合わせて縄状にしますが、繊維の太さ・芯の直径によって性能が違います。こちらは出来上がったばれん芯のサンプル表です。縒り合わせ方によって、芯の太さ・こぶの大きさが違う様子がわかります。
皮を触ってみると、部分によって厚みが違うのが分かりました。端部分は薄く、中央部分は厚いのです。芯の繊維として使えるのは、端でも中央でもなく図の部分のみです。厚みは同じものを使用しないといけないので、皮一枚から取れる量はほんのごく一部です。根元部分から20cmのところしか使えず、残りはかなりありますが捨ててしまいます。
ばれん芯の繊維として使用できる部分を切り取ったものです。
一枚の皮から取れる量は非常に少ないことがわかります。
竹皮からさらに甘皮(あまかわ)を取り除く作業をします。
皮の中でも丈夫な繊維だけを使用するためです。
左が剥いた甘皮・右が丈夫な繊維です。
皮を水に
約6分間ほど浸して
柔らかくします。
適度に湿ったら甘皮にだけ切り込みを入れます。入りすぎないように軽くスッと。
甘皮は口と手を使って剥いていきます。
先端部分を口で咥え、切り込みを入れた部分から甘皮を少しずつ剥がします。ある程度指でつまめるようになったら、甘皮を引っ張り、ゆっくりと剥がします。
後藤さんのお手本です。見事に1枚の甘皮が綺麗に剥けています。
私たちがやった甘皮剥きの失敗作。
なんとも・・・
甘皮を剥いたら、いよいよ芯を編む為の繊維に仕上げていきます。
皮の繊維に沿って簡単に裂くことができますが、それにはある道具を使います。
木の板に縫い針を挟み込んで作った、後藤さんお手製の竹皮裂き用針です。繊維一本の幅によって芯の仕上がりが変わります。この道具は、均一な幅に皮を裂くためのものです。持ち手のところに黒い穴が3個ありますが、これは針と針の間隔が3mm、つまり3mm幅の繊維が仕上がるという仕組みです。
この場合は5個の穴に1個の穴、
[0.1mm×5個=0.5mm]と[1mm×1個]という計算になり、1.5mm幅の繊維が仕上がります。
さまざまな幅の繊維を作れるように裂き針を揃えてあります。
裂き用針を皮に当て引っ張ります。これで皮を裂くことができます。
菊英さんでは主に8コ・12コ・16コと呼ばれるばれん芯を製造されています。
例えば8コの縄を作るには「2コ+2コを縒り合わせて4コ」「4コ+4コを縒り合わせて8コ」というように足して作っていきます。これでようやく1本のばれん芯が出来ます。
ばれん芯は螺旋状に巻きつけてあるため、その長さはかなりのものになります。1枚のばれんにどのくらいの長さが必要かお聞きすると、繊維の幅によって変わりますが、8コ芯でおおよそ12M〜20M・16コ細芯だと28Mも必要になるそうです。
ひたすら縒り続けていく・・・
この工程は根気や手間といった気持ちを隅に置いて、自分と向き合いながらでないと続けられない、そんな気がしました。出来上がったものは、ぐるぐると螺旋状に巻き、紐で固定し、ばれん芯の形を作っていきます。
8コ極細(芯直径3.2mm)
こちらは8コ極細の刷見本です。白い点々とした模様のようなものが入っています。このように細いばれん芯で摺ると独特の表情が浮かび上がり、これを「ゴマ刷り」といいます。
12コ中芯(芯直径5.3mm)
こちらは12コ芯の刷見本ですが、8コ極細芯と比べると、黒のトーンが全体的に均一なのがわかります。色がきれいに潰れています。摺るイメージの部分に応じて、手の圧力をコントロールしていく。木版画表現の幅は、とても繊細で広いのだと感じました。
包み皮を包む作業も、実際に体験させていただきました。
練習として、木製合板の当て皮を使います。左下にあるのは、華道などで使われるはさみ。
この柄がとても重要です。
目こすりをする際は、はさみの柄をこの椿油に付けてすべりをよくさせます。目こすりをすると皮が薄くなり、ばれん芯のこぶがきちんと紙に当たって圧力がかかるため、効きが良くなります。破れにくく、たるみにくくなります。
包む前に、皮を揉むようにして柔らかくさせます。
とくに両端部分。
一度中央に当て皮を置き余分なところをはさみで切り落とします。
周りの方から皮を包んでいき、皮の端部分をぐるっと捻って巻き、1本の太い縄のようにしていきます。私もやってみましたが竹の皮は硬、指先にけっこう力を入れなくてはいけません。指がジンジン痛みました。
もう一方の端も同じようにくるっと縄のように巻きます。
これらを中央に寄せ、糸を巻き付け、つなげて持ち手を作ります。
革工芸で使われる麻糸です。ぐるぐる巻きつけて強く縛り、ばれんの持ち手が完成します。
ばれんを握ったときに、手が当たる部分です。左の画像:黒い面の部分です。右の画像:当て皮の裏は、手の圧力が一番かかる縄状の芯が収納されます。菊英さんが誇る本ばれんには、この当て皮一枚にも非常に長い時間と手間をかけられています。どういう流れで作られているかを見てみましょう。
当て皮の芯となる素材は、実は「紙」です。この紙は、昔に出版されていた大福帳の紙(明治8年ほどのもの)で古い和紙です。現代の紙ではない理由として、昔の和紙は楮(こうぞ)の使用量が多く、繊維が長いために非常に丈夫にできています。それも、できるだけ枯れた状態になった昔の生漉和紙がよいそうで、後藤さんが骨董品屋さんに出向いて仕入れてきた貴重な古書が当て皮の素材として使われます。
和紙を正円に切り、貼っていくその枚数はなんと40〜50枚!
何枚目にどの直径の和紙を貼るかはすべて記録されています。
一番最初の一枚目には、糊をつかわずに和紙だけを水張りをします。
最後に型から外すためです。
貼るための糊は、わらび粉+柿渋+水(わらび粉渋糊)を定められた濃度で作成します。
わらび粉である理由は接着力が強く、糊の厚みが出ないためです。
一枚を貼り込み、接着乾燥するのに1日かかります。それが50枚としたら、50日は最低時間をかけなければなりません。厚みがでてきたら、角を丸く整えるためにカンナで削ります。貼り合わせた和紙はカンナで整形できるくらいに硬く、丈夫になります。
最後に絽の上から漆を塗ります。絵の具のように刷毛で塗るのではなく、繊維の隙間に刷り込んでいくように色をつけていきます。
筆で塗ると必要以上に漆を使い、固まりすぎて分厚くなってしまうためです。布と綿で作ったタンポに漆を染み込ませて刷り込む「拭き漆」という技法になります。下地に中国産の生漆を塗り、仕上げに国産の最高品質である生正味漆を塗ります。漆は絵の具の乾燥とは違い、湿度の高い場所に置かないと乾燥しません。
当て皮の内側。丹念に貼り重ねていった和紙の柄が見えます。触ってみたところ本当に硬くて、紙でできてるとは思えません。しかしちょっと力を入れると、少し弾力がありました。
手の圧力をきちんと紙に伝えるためには、ある程度の弾力性が必要で、硬すぎてもダメなのだそうです。
どのように伝えたら効率が良いかという方法論だけではなく、受け継いでいく人や世代が、かつての技術・歴史・制作された当時の光景・制作者の感覚に想いを馳せながら手を動かしていく。過去と現代とが歩み寄って初めて「伝承」になっていくのではないかと考えています。
後藤さんが今までに竹皮の芯で出来たばれんを作った枚数は1573枚!工房を開いて約40年ほど経つそうですが、何枚目にどなたのばれんを作ったかという納品先・制作の時の記録を残されています。これが貴重なデータとなり、技術がブレることなく続けられている理由なんだと感じました。
むらさきばれんができるまで
本ばれんではばれん芯に竹皮を使用していますが、むらさきばれんの芯はテトロン・ナイロンの併用素材を編み上げています。これは竹皮材の素材に匹敵する性能をもっており、漁業用で伸び縮みがなく水に強いナイロンを使用されています。後藤さんが苦心の末に探し当てた素材だそうです。
むらさきばれん - 中芯
潰しから繊細な部分まで、もっとも汎用性があるばれんとされています。
むらさきばれん - 細芯
中芯よりも芯が細く凹凸が少ないため、版の彫りが非常に細かいデリケートな部分に使われます。中芯と比べると、仕上がりが若干ごま状にムラになっています。同じ力で圧をかけても、芯が違うと仕上がりが変わります。
ソフトむらさきばれん - 中芯
凹凸が少ない為にとても繊細な刷りが得られます。むらさきばれん細芯よりも、もっとデリケートです。他の見本と比べて、刷りがソフトな仕上がりになります。
むらさきばれんの当て皮は木製です。
本ばれんの当て皮と違って手間がそこまでかかりませんが、木製だから安価だということではなく、ばれんの性能を十分に発揮できるように工夫がなされています。
当て皮の木は、小田原で熟練の木地師によって成型してもらっているそうです。当て皮の角の丸みなど微妙な部分は後藤さんがサンディングされ、形を整えています。この画像は当て皮の内側になりますが、さわってみると、円の中央部分が若干膨らんでいます。ばれんの芯がこの内側に乗っかるために必要な膨らみなのです。それも芯の種類によって、膨らみ加減が違うとのことです。
実際に摺るTest Print
あとがきAfterwords
工房を出て階段を上がり、下校する小学生達とすれ違いながら、勾配のある坂をしばらく歩きます。閑静な住宅が立ち並ぶ坂道をある程度登りきったところで、後藤さんが振り返った方を見ると、日暮れに差し掛かった時間、見事な美しい景色が広がっていました。輝く海原に山の稜線そして富士山が遠くに姿を見せています。私は、新幹線の車窓から単独で富士山を見ることは稀にありましたが、こうして日常の風景の中に在る富士山を見るのは初めてだった気がします。
ご購入についてAbout Purchase
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菊英のばれん 新木漆ばれん8コ細芯 Φ125mm
細かい版面の刷りや、
特に薄い紙の時に適しています。 -
菊英のばれん 新木漆ばれん8コ中芯 Φ125mm
標準用で薄い紙から中厚紙まで
幅広く使用できる万能型です。 -
菊英のばれん 新木漆ばれん8コ太芯 Φ125mm
厚い紙への摺り、
広い面のツブしに適しています。 -
菊英のばれん 新木漆ばれん12コ中芯 Φ125mm
摺りすじが出にくく、
デリケートな刷りに適しています。 -
菊英のばれん 新木漆ばれん16コ中芯 Φ125mm
厚口紙への摺り、
ベタ版画の摺りに適しています。 -
菊英のばれん むらさきばれん中芯・太芯 Φ120mm
高性能かつ低価格、
幅広い摺りに対応しています。 -
菊英のばれん むらさきばれん中芯・太芯 Φ110mm
高性能かつ低価格、
幅広い摺りに対応しています。
菊英のばれん製品は完全受注生産です。ご注文をいただいてからの生産となりますのでお時間を頂戴いたします。
銀座ばれん塾About School
当日は私たちのほか7名ほどの方々が受講されていました。ご年配から若い方まで幅広い方がお越しでした。皆さん席に着くなりさっそく道具を広げ作業を始められていたのを見て驚きましたが、さらに驚いたのことに一人一人、作業をされている内容が違うのです。
包み皮の作業をされている方もいれば、皮白竹の甘皮を剥き、ばれん芯を作る方も、さらにはばれん芯自体もうほぼ出来上がっている方もいらっしゃました。
包み皮の作業をされている方
皮白竹の甘皮を剥いて、
ばれん芯を作っておられる方
このように、銀座ばれん塾ではやりたい工程(コース)を受講生が決められます。そして一人一人を後藤さんが親身になってきちんとご指導されます。皆さんの作業を見て思いましたが、本当に手際が良くて、私たちから見ればもはやもう立派な職人レベルです。
受講生の皆さんが、いかにこの塾に熱心に通い学ばれているか、そして後藤さんが丁寧にわかりやすくご指導されているのかを、とてもよく表していると感じました。